立教開宗の前夜
法然上人のこの「すべての人は悩み苦しみ、覚ることはできない」という自覚は、再度、上人自身を深い思索へと誘うこととなります。上人は「覚ることができず、この世界で苦しみもがいている私達は、一体どうすればよいのか?」と自問し、この世界のあらゆる人々が必ずこの現実の苦しみから永遠に離れることができる教えを模索する日が始まりました。
しかし学べば学ぶほどに、自らがこの身このままで仏であることも、また覚りを開くことも絶望的にとらえた法然上人は、それでもお釈迦様の教えの中にすべての人々が人生の悲哀と苦悩から逃れ得る方法を求め続けました。しかしお経を見ても覚りの境地の様子は詳細に説かれてあっても、自らが切望する教えはなかなか見つからなかったかもしれません。
仏教には多くのお経や論書があります。数多あるお経や論書の中でも、「この世界に生きる人は、誰一人として自らの力では覚りを開くことができない」という発言は、中国の唐の時代に長安で活躍した善導大師の著作にしか見ることができません。善導大師は「この世のすべての人はみな悩み苦しむ凡夫であり、阿弥陀様はすべての凡夫を救済する仏様である。わたしたちは阿弥陀様のお救いを受ける以外には、この苦しみから離れえる方法は有り得ないのだ」ということを強く主張しています。
法然上人は比叡山の大先輩にあたる恵心僧都源信の『往生要集』に導かれ、阿弥陀様の救いを説き示した浄土教に強い関心を持つようになり、『往生要集』が引用した多数のお経や論書をすべて実際に手に取って幾度も通読しました。そして善導大師の主著とも言うべき『観経疏』に出逢うことになります。
来る日も来る日もお経や論書の頁をめくり、幾度も大蔵経を端から端まで精査した法然上人は、ついに「自らこれまで多くの罪を犯し、今生まで苦しみの世界を彷徨い続けてきたこの私が、今こそ阿弥陀様のお名前を称えることによって、阿弥陀様の本願のお救いを受け、極楽世界に往生することができる」という善導大師の教えと対面し、善導大師の言葉の真意を受け取りました。この時のことを上人自ら「善導大師の『観経疏』に出逢い、そして一心専念弥陀名号の文章を目の当たりにした時、これこそが今まで私が探し求めてきた教えであると声をあげ、喜びのあまりに感涙にむせぶばかりであった。あの日以来、私はあらゆる修行を止め、ただお念仏のみを称えるようになったのだ」と述懐しています。
善導大師が開顕し、法然上人が開示したお念仏の教え、阿弥陀様の救いとは、「あらゆる人々をすべて必ず救い取る」という阿弥陀様の本願の本意に他ならず、これこそが法然上人が自らの人生を賭してまで探し求め続けた「すべての人々が人生の悲哀と苦悩から離れ得る唯一のお釈迦様の教え」だったのです。