私たちはあらゆる命を頂戴して今生かされています。
牛や豚、魚など、どれも私たち人間に食べられるために生まれてきたのではありません。
それぞれに一生を背負って生きているのです。
また野菜なども、種から芽がでて成長していくように、やはり命を宿しています。
それぞれに一生を背負って生きているのです。
また野菜なども、種から芽がでて成長していくように、やはり命を宿しています。
その尊い命を、私たち人間が頂戴しているのです。ただで、その命を取るのですから、手を合わせて『いただきます』人間としてごくあたりまえの姿です。
こういう親がいるとか。『うちはお金を払って食事をしています。だから手を合わせて「いただきます」なんてみっともない事は子供にさせたくありません!』と。とても残念な発想です。
魚なら魚の一生を食べてしまうのです。
『私は切り身で買ってます』なんて理屈は言わせませんよ!魚は一円も貰って無いんですよ。ただで頂いているんです。
『私は切り身で買ってます』なんて理屈は言わせませんよ!魚は一円も貰って無いんですよ。ただで頂いているんです。
ですから「いただきます」は生きとし生けるものに「あなたの命をいただきます」と手を合わす言葉なのです。
仏教では「不殺生戒」と言って、「無駄な殺生をしない」という戒めがあります。
せっかくの食事を残したり、散々食べておきながら社会に全く奉仕しなかったらただの殺生をしただけになりますよね。
せっかくの食事を残したり、散々食べておきながら社会に全く奉仕しなかったらただの殺生をしただけになりますよね。
食べ物を粗末にしないと同時に、与えられた命はどんなものでも尊いものでありますから、全てに手を合わせ、感謝して大切にすることが、「いただきます」という短い言葉の中に込められているのです。
命を生かしていきましょう。